優れた日本のおもてなしは、小うるさい日本人の客が望んだ事である。

日本の接客サービス、いわゆる『おもてなし』は世界的に素晴らしいと言われている。しかしながら、日本人は日常的に接客に感動する事は滅多にない。日本では昔から「人の良し悪し」でその店を語り、再び足を運ぶための動機としている。昨今のビジネスシーンにおいてはマニュアル人間を育て過ぎて、「人の良し悪し」が語られる様な会社や店作りをしていないため、商品・商圏は良くても多くのリピーターを逃している状況が見受けられる。ここでは、客が離れる日常的な瞬間を切り取って紹介します。

よろしかったですか?の一言であなたは軽蔑される。

お店や会社の従業員の話し方ひとつで、売り上げが変わるという事が言われている。

また、話し方だけではなくて「言葉の選択」においても、誤った聞き手チョイスをすれば聞き手がげんなりしてしまうもの。

 

それをふまえて、街中で聞こえてくる違和感を覚える言葉遣いの一つにしばしば挙げられるのが、ファミリーレストランなどで注文やお会計の際に「○○でよろしかったですか?」もしくは「よろしかったでしょうか?」である。

 

この表現はいつ聞いても耳慣れないし、不快にすら感じる事もある。

しかし、やはり感じる側も人でありその感覚は千差万別のため、何も感じない人もいるし、改めて「おかしくないか?」と尋ねれば「おかしい」と言うものもいる。

そもそも、現在の話をしているのに何故いちいち«過去形»にするのか?一瞬でも過去だから過去形か?しかも若干長くなっている…。

 

私はよく言う、『私がその店の常連でいつも頼む同じメニューがあって、席についてまだ頼んでない私のところに来てオーダーを取るならば』→『こんにちは~いつもありがとうございます。○○でよろしかったですか?』なら過去の情報をもとにしゃべっているのでまだわかると。

 

何故こんな事になってしまったのか?

色々調べてると北海道や東北、長崎と言った地方などでその様な言い回しが使われている事から派生したとか?「これで、いがったか?」の様に…。

しかし、私はこれは違うと思う。

あくまで、ある特定の注文が決まっている際には「いがった」とは言わず「これで、いいが?」と言うはずだ。

 

例えば、お花屋さんに「10000円くらいで、華やかな感じで。」とはっきりと決まったオーダーではなく、どうとでも自由にできそうな注文をしたとする。

それに対し、花屋さんが色々と考えながら試行錯誤の上作ったフラワーアレンジメントを客に渡す際に、「こんな感じで良かった?」と言うのはわかる。

もちろん「こんな感じで良い?」も使えるが、「良い?」よりは「良かった?」の方が『言葉の柔らかさ』(タメグチ感がマイルドになる)は伝わるのではないか?

 

しかし、シェフに特殊なオーダーをしているわけではなく、決まった料理を注文しているにも関わらず、「よろしかったですか?」とは明らかにおかしい!

お店側が試行錯誤のうえ何かをアレンジして、客のためだけに何かを作って来ているのだとすれば、お伺いをたてている言葉としてはあり。

 

ましてや、お会計の時など「お金=数字」な訳でアレンジをするわけではないのに、お会計の際にも「○○でよろしかったですか?」もっと言えば「一万円からで、よろしかったですか?」

「よろしかったですか」だけでも違和感あるのに、何故そこに「~からで」も付け加える?

「~から」はそこから始まるという続きの言葉だ。

だから、支払いをその金額で終える際に使う言葉ではないため、これまた異常な違和感である。

 

もっと言えば『良い』ではなく『宜しい』なんていう様なより丁寧な言葉を持ってきて、最後には『ですか?』『でしょうか?』など綺麗に締めくくろうとしているものだから、余計に違和感が出てバカっぽくなる。

 

しかもこれが、若い高校生くらいのアルバイトの子が使っているなら分かるが、最近ではファミレスなどで60代のおばさんまで使っているから驚きである!?

さらには、お堅いイメージのある銀行の窓口でもお金を振り込んだりする時に、「こちらの金額でよろしかったですか?」などと言う始末。

 

誤「一万円からで、よろしかったですか?」

正「一万円で、よろしいですか?」

 

何故正しくて短い文章を、あえて間違えて長くするのか?

日本語もどんどん変化していくが、多くの人が違和感を覚えているものはそれは変化させないものか、まだ変化してはいけないものである。

大人、子供関係なく使う言葉にはある程度気を配らなければ、大切なお客さんを失いかねないであろう。